梅雨の晴れ間の6月20日、超大作「劔岳点の記」がついに本公開の日を迎えた。 記念の舞台挨拶はなんと二日がかりで、4都市、9館、9回。 どこまでも”苦行”、”キャラバン”にこだわる熱い監督と仲間達が集った。 | |
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司会: |
早速、監督、キャストの皆さんにご挨拶をお願いします。 普通、映画の舞台挨拶は主演俳優から始まり、監督で〆るというものでございますが、この映画は普通の映画ではございません。 最初はやはりこの方がいなくてはこの映画は出来ませんでした、映画人生50年、初監督でございます、木村大作監督です。 |
監督: |
えー、今山を登り、下りて来た皆さん、我々の、皆さんは、仲間です! 本当に本当にありがとうございました。 |
司会: |
監督、仲間の皆さんは2階にもいらっしゃいます。 |
監督: |
.....散々入って来たときに見てますよ。 |
司会: |
あぁ、そうですか、失礼いたしました。 |
監督: |
9:30に映画を見に来る神経がわかりません。 どうもありがとうございました。 |
司会: |
監督ならではの最大の感謝の言葉でございます。 さぁ、続きましては、静かに燃える主人公、柴崎芳太郎、浅野忠信さんです。 |
浅野: |
本当に今日はありがとうございます。 やっとこうして初日を迎えられて、とても嬉しいです。 そしてこんなにたくさんの人に映画を見ていただけて本当に幸せです。 この映画を通して、本当に自分自身、男としても、一人の俳優としても色々学ぶことが出来ました。 この経験を生かして、これからも頑張ります。 今日は本当に皆さんありがとうございました。 |
司会: |
続きまして、この人がいたから道が出来ました、宇治長次郎、香川照之さんです。 |
香川: |
今日は本当にありがとうございます。 とても今、神聖な気持ちです。 舞台袖に待っているときに、毎日毎日繰り返し見ていた、というか見下ろされていた劔岳がすぐ後にある気がずっとしていて、あぁ、あの映画は劔岳、劔岳そのものがきっと見守ってくださるというふうに、とても強く思いました。 我々、測量隊と山岳会の人間が残した四等三角点は、100年前、記録には残りませんでした。 劇中ではそうなっております。 しかし、僕はこの映画が必ずや歴史に残り、記録に残り、私たちスタッフ、キャストが本当に命を懸けてやったかけがえのない仕事として、絶対に跡は残すと、今日は確信しています。 どうか一人でも多くの方々に見ていただきたい! 心からそう思います。 今日はそのスタートとして、こんなに多くの方々に見ていただきました。 本当に心から感謝しています。 ありがとうございます。 |
司会: |
山に登りながら成長する若者、生田信、松田龍平さんです。 |
松田: |
今日はありがとうございます。 二度とない一瞬を切り取った、そんな映画を作った木村大作さんの作品に出られてとても幸せです。 ありがとうございます。 |
司会: |
続きまして、監督が唯一怒鳴らなかった人と言って良いでしょう、柴崎葉津よ、宮崎あおいさんです。 |
宮崎: |
初日に劇場に足を運んでくださってありがとうございます。 見てくださったのでわかるとは思うんですが、私はほんの数日間の参加だったんですけど、こんなふうに皆さんと同じようにこの舞台に立たせてもらえることをすごく嬉しく思っています。 ぜひ多くの、一人でも多くの方に見ていただきたいなと思いますので、よろしくお願いします。 |
司会: |
続きまして、主人公のライバル、手旗信号すらかっこいい 小島烏水、仲村トオルさんです。 |
仲村: |
仲村です、今日は本当にありがとうございます。 この順番でマイクが回って来ると、ほとんど挨拶することが残ってないんですが、本当にこの傑作映画に、超大作(だいさく)に絡むことが出来て嬉しく思っています。 こじまうすいという役名だったんですが、存在感が薄いと言われないように一生懸命頑張りました。 今日はありがとうございました。 |
司会: |
ありがとうございました。 木村監督はこの映画を皆さんに見ていただきたいという気持ちから、全国キャンペーンを47都道府県全てで行って参りました。 こういった映画は史上初ではないかと思われます。 そしてここで発表します、木村監督が舞台挨拶に立った回数は62回、今日は63回目の舞台挨拶でございます。 ご苦労様でございます。 大きな拍手をお願いします。 監督、さすがに63回目の舞台挨拶ともなりますと、もう話すことは何もないという感じですか? |
監督: |
......バラエティ風にやるんだったら、なんぼでも話すんですが、今日は...静かに、感動的にやりたいと思ってますが、私が一番感動....危ないんです(;_;)、今、カットで変るでしょ?僕、 |
司会: |
と、どういう、今、お気持ちなんですか? そのお気持ちを言葉にすると。 |
監督: |
狂気の方に走るか、奈落の底に落ちるか...今日は本当に嬉しいです。 どうもありがとう(;_;) |
司会: |
監督、こんなふうに完成の日を迎えると思ってましたか? 公開の日を迎えると思っていましたか? |
監督: |
...耳が遠くなってるんですが。 |
司会: |
本当にこのように完成、公開の日を迎えられると思っていましたか? |
監督: |
.......難しい質問です。 まぁ撮影の途中で、この映画は最後まで撮り切れれば絶対にすごい映画になるんだというふうに、スタッフ、キャストに言い続けていましたが、実は、最後まで行けないんじゃないかと思ってたときもありました。 .... |
司会: |
わかりました、はい。 監督は、しゃべり過ぎると、俳優さんの時間がなくなるので、短くしたいと、打ち合わせのときから、そういうことはおっしゃっていました。 さぁ、それではキャストの皆さんにお伺いします。 色々とお話があるところですが、一つテーマを、皆さんにはこちらの方で掲げさせていただきます。 お一人ずつのトークのテーマは「私と木村大作」でございます。 色々なことがあったと思いますけども。 それでは、まずは浅野さん、よろしくお願いします。 |
浅野: |
そうですね、この撮影に入りまして、特に山に入って、数日続いたときに、やっぱりその山小屋で自活のスタイルというのが今までなかったものですから、非常に過酷でした。 毎日9時には消灯になって、朝約4時くらいに起きて、目を覚まして、そのままヘッドライトを点けて山を登り出すという毎日が繰り返されていて。 そういう中で、やっぱ自分のことを見つめる時間がたくさんありました。 それで、やっぱり監督は正直に、僕に対していつも向き合ってくれる方だったんで、ある夜、眠れない夜がありまして、ちょっとトイレに行こうとしたときに、監督が山小屋の下駄箱で一人煙草吸ってたんですね。 それで特に最初の時期は、監督は毎日のように眠れずに、下駄箱で煙草を吸っては、次の日のことを考えたり、この映画どうすれば良いかなんてことを考えてましたから、あ!また監督眠れないんだなと思って、そのときに何だか僕は自分のことを話したい気持ちで一杯になりました。 それで監督に自分の今の役者としての思いというか、そういうものを話させていただいて、それで本当に熱心に聞いていただいて、色々なヒントをいただいて、そういうことは今までなかったので、非常にありがたかったです、はい。 |
司会 |
香川さん、お願いします。 |
香川: |
何よりも、今69歳でおられる監督が、僕達と同じ歩数、それ以上、実景も入れればですね、それを歩いて、その背中をずっとこの目で見て来た、それに尽きると思います。 そして僕も、浅野さんが言われたので、何かちょっと言おうかなと思ってるんですけれど、クランクインの前の日と第2期ロケの1週間くらい前、監督と色々この映画についてのこととか色々なことで、まぁ大喧嘩までは行きませんけども、後半はわぁーっ!とか言っちゃって、色々な喧嘩をして、その意味でこれだけ深く関わった方はいないなと思うんですね。 その意味で本当に父親のような存在でしたし。 まぁもう一つ言うと、山は登ってるときに、登れば下りるんですけど、まぁ山は登ってるときは辛いんですけど、下りるときは少し楽なんですね、たぶんそのときは山を下りてる、雪渓を監督さんと下りてるときだったと思うんですけど、監督がふとスタッフ、キャスト全員に向かって、お前ら、今楽だろ?少し。 なぜならばそれは下りてるからだと。 登ってるときは辛いんだと。 で、もし辛いと感じていたら、今きついなと思っていたら、それは登ってるときなんだ。 楽だと感じてるときは落ちてるときなんだと。 お前らよく覚えとけ!と言われた言葉は、本当一生忘れられなくて、本当に肉親以上の言葉をこのロケ中にいただいた、本当に父親のような存在でした。 |
司会: |
松田さん、お願いします。 |
松田: |
......すごく素敵な人です。 一緒にやれて、本当に幸せです、はい。 |
司会: |
これも松田さんのキャラクターでございます。 宮崎さん、お願いします。 |
宮崎: |
はい、私は...そうですね、山にも行ってないですし、すごく、三日間と言うとても短い時間だったんですけど、すごく優しくしていただいて、何か自分がこれから先、きちんと大作さんに気にしてもらえるようなというか、見てもらえるような役者でいられたら良いなと今はすごく思ってます。 |
司会: |
宮崎さんは本当に不思議なんですが、以前からお話をしていると、監督のことを”大作さん”と呼ぶんですね。 監督、”大作さん”と呼ばれる気持ちはいかがですか? |
監督: |
僕も男ですから、くらくらーっと来ます。 |
司会: |
そして仲村さん、お願いします。 |
仲村: |
そうですね、さっきちょっと笠井さんが拾ってくれるかなと思って、軽くボケてみたんですけど、まったく拾ってくれなかったですね。 |
司会: |
いや、わかりました、超大作(だいさく)というのはわかりましたけども、これは流した方が良いのかなと。 すいませんでした。 |
仲村: |
いや、それは良いんですけど。 さっき監督がおっしゃってた、この映画がもしかすると最後まで行けないかもしれないと監督が感じた瞬間というかその日だったような気がしますけど、そのとき僕は監督に、もしこの映画を撮り続ける、もう一人でも撮り続ける、だから7月何日かに頂上に手旗を振りに来てくれと言われたら、僕は一人で来ますよって監督に言ったんですけど、そんなことを言いたくなる人ですね、はい。 |
司会: |
ありがとうございました。 皆さんそれぞれにやはり深い思いがあるというのを今のコメントからわかったと思います。 そしてこの映画にはもう一つ映画史に残る部分がありました。 皆さんご覧になったように、最後のスタッフロールのところ、肩書きが全くなく、「仲間達」とだけ出ております。 これは監督の思いによるところによるエンドクレジットということなんですが、そこで今日は2年間、山の中で苦楽を共にしたスタッフの皆さんも、一部の皆さん、ぜひ初日にということで駆けつけてくださいました。 どうぞ皆さん、撮影スタッフの皆さん、登壇してください。 |
(拍手の中、仲間達登壇) |
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司会: |
さぁここでスタッフの方たち、俳優の皆さん以上に苦労が多かったと聞いておりますけれども、代表して監督補の宮村さん、どんな思いで初日をスタッフとして迎えられたか、よろしくお願いします。 |
宮村: |
そうですね、やっぱり僕等裏方の作り手としてはですね、やっぱり最後に観客の人に見ていただくってことが最終目標なんで、これから多くの人に見ていただいて、10年経っても、20年経っても、30年経っても、木村さんが死んでも、皆さんの心に残り続ける映画に出来たと思っておりますので、皆さんの心の中にずっとこの映画が残り続けられるようによろしくお願いします。 |
司会: |
ありがとうございます。 |
(フォトセッション) |
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司会: |
さぁ、それでは監督、最後に一言。 |
監督: |
皆さん、写真撮影まで付き合ってもらって、本当にありがとうございます。 ただ、問題が残ってるんだけどね、(記事が)なかなか出て来ないんだよね。 監視してください。 (取材陣に)こんだけ撮って、紙くずにしたら承知しねぇぞ、このやろ! |
司会: |
ありがとうございました。 仲間達に大きな拍手をお願いします。 |